私が借りる前、いつ、誰が手にしたのだろう。
どれも古び閉じられた本の紙が重なる側面は黄ばんでしみだらけだ。
試しに背表紙をめくると、昔の、貸出期限表と印字された紙がそのまま貼付けられている。
最初は昭和53年10月6日のスタンプがおしてある。
この「ヒトラーの遺産」が出版されたのは昭和46年だから、何枚目かになるのだろう。
それから13人の誰かが借りて14人目の返却期限は昭和55年3月13日とある。
それ以下は空白だ。
書庫に入れられてしまったのだろうか。
子供の頃、各週ごとにバスで連れていってもらった私立図書館で、借りたい本を、全部後ろのカバーを開いた状態でカウンターにもって行き、トントンと次々にスタンプを押してもらったことを思い出す。
小学校の図書館では、私がはまっていた、ナンシー・ドルーという名前のアメリカの女子大生が主人公の、探偵小説シリーズを借りると、私が憧れていた男の子の名前が既に書かれていることに、微かな親近感と喜びを覚えたものだ。彼の名前は、私が借りたいくつかの本に、既に合ったものだ。
保育園の頃から「がき大将」でスポーツマン、勉強もそこそこできて背が高い。
でも本を読むようにはみえなかったから、意外な側面を知ったつもりになったのだ。
今はバーコードスキャンやICチップで簡単に借りることことはできるようになったしブライバシーが守られて有り難いけれど、その本の辿ってきた歴史をかいま見ることが難しくなるのは、寂しい気がする。
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五木寛之の書庫に眠っていたけど、人間臭くて味わい深い本たち。
『わが憎しみのイカロス』『デラシネの旗』
『異国の街角で』
以上は文藝春秋
『さらばモスクワ愚連隊』『ヒットラーの遺産』
以上は講談社
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